29 8月, 2016
  • By CWS JAPAN
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ララの始まりはCWSの始まり

70周年の年明け

2016年の年明けと同時にCWS本部CEO(最高経営責任者)のジョンから「今年はCWS設立70周年である」という一斉メールがスタッフに届きました。CWS70周年、それは敗戦後、飢餓と貧困で苦しむ多くの日本人を救い、日本の学校給食を再開するきっかけになった「ララ救援活動」の70周年でもあります。ララ物資はケア物資(米国のCAREという民間団体から1948年~1955年までに贈られた救援物資)と並び、北米から日本へ贈られた救援物資でした。1946年からララ終了時の1952年までに贈られた救援物資総量は1万6700余トン、当時の邦貨で400億円相当であると言われています。

そのララ救援活動に最終的に参加した団体は計13団体。主要な参加団体である米国のキリスト教系奉仕団体の中でララ救援物資の半分相当量を出荷していたのがCWSでした。なぜか?CWSは複数の米国キリスト教系組織によって発足した団体であり、その前身の1団体であったChurch Committee for Relief in Asia (CCRA:アジア救済教会委員会)などは、50近い宗教団体が加盟する超宗(教)派の組織だっただけに、全米の加盟教会から献金を集めることができたからなのです。

CWSの始まり

CWSは、ララが組織化された翌月1946年5月に、ララ発足に関わった前記のCCRAを吸収し、Federal Council of Churches(教会連邦協議会)、Foreign Missions Conference of North America(北米海外宣教協議会)、American Committee of the World Council of Churches(世界教会協議会・米国委員会)など世界的救済活動を行っていた3団体によって設立されました。名称をChurch World Service(CWS教会世界奉仕団)とし、第二次大戦の被災国救済と再建活動を調整することを目的として多数のプロテスタント教会を傘下に収め設立されたので、ララ救援活動において多大な勢力を持っていました。

残念ながら70年という時を経て、今日のCWS米国本部関係者の間で、このララのことを知る者は生存していません。また当時の歴史史料が保存されていないことから、CEOのジョンでさえ「ララがなかったらCWSは発足しなかった。」という史実を知りませんでした。様々な史料を読み解く中で、大戦があってララの前身となる委員会が発足し、終戦後ララが組織化され、それらの動きの中でCWSが創設されたというこの流れは、偶然ではなく必然だったと考えられます。

CROPとララ

この7月、CWS本部が主催するCROP US Summer GatheringというCWSのファンドレイジングスタッフ・ミーティングがシカゴで開催されました。それはアメリカ各地でCWSのためにファンドレイジング活動をしている30名近くのファンドレイザーがシカゴに会するというものでした。CROPとは、Christian Rural Overseas Programの略称です。CWS設立当初(1946~)に第二次大戦の被災者や難民の飢餓救援のために米国各地の農家が穀物を供出し、国中の穀倉地帯からFriendship Trainという名の汽車が回って集め、海外に食糧を送り出したことから始まったファンドレイジング運動です。もちろん今日では食糧ではなく募金活動になりましたが。このCROP運動とララは同時期に開始されました。この時のCROP運動で集められた食糧が日本にも輸送されていたのかもしれません。

投稿日:2016年8月29日